藤枝あやめ誕生日記念・特別短編小説2013
「君偲ぶ日に」その5



「――ハァハァハァハァ…!」

夜の闇に包まれた、先の見えない長い石階段を浴衣の裾を持って駆け上がっていくと、時神神社の本殿が見えてきた…!

「はぁっはぁ…っ、梨子さん、出てきて頂戴!そこにいるんでしょう…!?」

境内に足を踏み入れると、それまで手に取るように感じ取れていた梨子さんの霊力と気配が消え、ぶら下がっている提灯の明かりも急に弱まった。

「……梨子…さん…」

息を切らした声をどんなに張り上げても、私の声は暗闇と静寂の中で虚しく響くだけ…。梨子さんは現れなかった…。

――跡取りを失って没落した藤倉家と同じ運命を辿り、廃れてしまったここ・時神神社。こうして夜に来てみると、物悲しい気分になってくる…。

天雲神社を治める藤枝家の私とかえでが巫女を継ぐまでは、この時神神社がずっと藤堂一族の本社とされてきた。本当だったら梨子さんは夏祭りの次の日、ここで神剣白羽鳥を継承する儀式を受けるはずだったのよね…。

〜〜あの事故さえなかったら今頃、梨子さんは周囲の期待通りに巫女を継ぎ、藤倉家も繁栄して、一族の頂点に君臨する名家として崇められて…。

そしたら天雲神社と時神神社と同じように、私と梨子さんの運命も全く逆のものになっていたかもしれない…。

「――あやめさーん!」

「一郎君…!」

「ハァハァハァ…。はぁ…、見つかってよかった…!」

「もしかして探しに来てくれたの?」

「はい。藤倉教官の名前が聞こえて、ちょっと気になったものですから…」

「そう…、ありがとね。……でも梨子さん、消えちゃったみたい…」

「そうですか…。〜〜俺ももっとうまく霊力を操れたら、一緒に探せるのにな…」

「ふふっ、いいのよ。そうやって心配して追いかけてきてくれただけでも嬉しいわ」

「あやめさん…」


……このまま何も解決しなかったら、一郎君は記憶の中の梨子さんとどうなっちゃうのかな…?

〜〜もし、私のことなんか忘れて、梨子さんの方を愛するようになっちゃったら――。

「――あの、あやめさん!」

「ん?なぁに?」

「その…、よかったら、これ…」


元気がない私を心配してくれたのか、一郎君は後ろ手に隠していた紫色の水玉の風船ヨーヨーを私の手に握らせるように渡してくれた。

「それは…!」

「子供達に取ってやっていたら、偶然一緒に釣れたんです。あやめさん、懐かしそうにしてたから喜んでくれるかなって…。はは…、やっぱりいりませんよね、こんな子供っぽいもの?」

「ううん、とっても嬉しいわ!ふふっ、ありがとう、一郎君…♪」


あの日、梨子さんが取ってくれたのと同じ柄のヨーヨーをもらった私は嬉しくなって、お礼に下駄を履いていた足で背伸びして、唇にキスしてあげた。

「あ、あやめさん…♪」

そして、照れて赤くなっている一郎君の胸にそっと顔をうずめた。

「――この先…、何があっても忘れないでね、私のこと…?」

「えっ?」

「…ううん、いいの。ふふっ、帰りましょうか、かえで達の所へ――!」

「――!」


先に階段を降りようとした私の体が一郎君には透明になっていくように見えたらしく、とっさに私の手首を掴むと、一郎君は後ろからぎゅっと…、いつもより少し強引に私の背中を抱き寄せた。

「えっ?い、一郎君…?」

「――すみません…。もう少しだけ二人きりでいても構いませんか…?」

「え…?」

「何だかここを離れると、あやめさんが消えてしまうような気がして…。〜〜妙な…胸騒ぎがするんです…」


……隼人の力を継ぐ一郎君も無意識のうちに違和感を感じているのかしら…?

「そう…。…いいわよ。かえでには内緒ね…♪」

「…はい♪」


私と一郎君は石階段に並んで腰を下ろすと、明るい提灯の灯りを浴びて賑わう祭りの全景を一緒に眺め下ろした。

「昼間と比べたら、だいぶ涼しくなったわね」

「そうですね」

「お祭り、楽しんでる?」

「はい。今はあやめさんと一緒ですから余計に…♪」

「ふふっ、それはよかった♪」


私が消えるのが不安なのか、一郎君は笑いながらずっと隣で手を握っててくれる…。

私もそんな一郎君の隣で団扇をあおぎながら安堵の笑みを浮かべて、彼の肩に寄りかかって満天の星空を見上げた。

「綺麗ねぇ…。ほら見て?空気が澄んでるから、あんなに星がはっきり…」

「――あやめさん」

「え…っ?」


やだ…、こんな薄暗い場所で、そんな真顔で見つめられたら恥ずかしくなってきちゃうわ…♪

一郎君は赤面している私の顔を繋いでいない方の手で触れると、私の存在を確かめるように私の頬や唇を何度も指で触って、唇を重ねてくる。

「ん…っ、い、一郎…君…」

「あやめさん、綺麗だ…」


そうやって一郎君に触られるだけで、キスされるだけで…、ドキドキして感じちゃう…♪

「俺…、あやめさんと結婚できたことが未だに信じられない時があるんです。同窓会で鈴木達からからかわれても実感わかないくらい幸せで…。もしかしたら、この幸せは全部妄想で、本当の俺はこの世界に現実逃避してるんじゃないかとか…。そんな馬鹿なことを考える時がたまに…」

「ふふっ、…んもう、一郎君ったら!」


――ぎゅーっ!!

「〜〜いててててっ!」

「…これでもまだ夢の世界だと思う?」

「〜〜い、いいえ…」


私に思い切りすねをつねられて涙目になった一郎君。

このままじゃちょっと可哀想なので、頭を撫でて私の胸に顔を押しつけてあげた。

「あやめさん…、あの…、当たってるんですけど…♪」

「――そうしてあなたが感じてる私の温もりも、私が感じてるあなたの温もりも全部現実のものよ。今、私は確かにこうして一郎君の傍に存在してるんだから…」

「あやめさん…。はは、そうですよね。俺、どうしてあんなに不安だったんだろう…?」


――今の言葉は私自身を納得させ、安心させる為のものでもある…。

私は今、ここで息をして、一郎君の妻として、帝国華撃団の副司令として大帝国劇場で幸せに暮らしている。

それは紛れもない事実。他の誰にも代えがきかない私だけの人生ですもの…!

「――あやめさん…」

「ん…っ、ふふっ、もう…♪誰か来たらどうするの?」

「平気ですよ、暗がりに来たがるのは俺達みたいなカップルしかいませんから」

「ふふふっ、しょうがない子ねぇ…♪」


理性を保ってるように見せてるけど、実はちょっと期待してたりして…♪

私は浴衣の帯をスルスルとほどかれながら、一郎君の真剣な眼差しを浴びて肌を露わにしていく。

そして、長い指でゆっくりなぞられた唇をキスで塞がれ、いつものように身を任せて、静かにまぶたを閉じる…。

「愛してるわ、一郎君」

「あやめさん…」


指を絡ませ合い、一郎君の厚い胸板が私のはだけた肌と重なるだけで息が荒くなる…。

「――来て…、私の中に…!」

一郎君の耳元で囁きながら足を広げて、背中に手を回そうとしたその時だった…!

――ブツ…ッ!

「あ…っ!?」

愛撫に夢中で右手の中指にはめていた風船ヨーヨーの輪ゴムが擦れたことに気づかず、一郎君にもらった水風船が石階段の下に向かって落ちていってしまった…!

〜〜駄目…!割れちゃう…っ!!

――パァン…ッ!!

私が体を起こして手を伸ばしたのも虚しく、スローモーションのようにヨーヨーがゆっくり石階段を転がっていって、途中で割れて水が飛び散ると、先程まで賑わって聞こえていた祭りの太鼓と笛の音はもちろん、盆踊りを踊っていた家族も、友人や恋人と露店を楽しんでいた人達も皆、闇の中へ忽然と姿を消してしまったように姿を消してしまった。

それだけではない。祭りに華を添えていた提灯達の明かりも一斉に消え、境内に吊るしてある提灯のうっすらとした明かりも消えてしまったの!

「な、何だ…!?」

「停電かしら――?」


その時、突然全身に悪寒が走って、私はハッと顔を強張らせた!

「あやめさん…!?まさか敵の仕業ですか!?」

「…わからないわ。でも、梨子さんの…、〜〜藤倉家の霊力を感じるの…!」

「藤倉教官の…!?」


一郎君も緊張した面持ちで私を抱く力を強くし、辺りを警戒し始めた。

〜〜皆、どこへ行ってしまったの…!?

まるで私と一郎君以外、世界から誰もいなくなってしまったように静まり返っている。……反対に、私達のいる境内が異次元に吸い込まれてしまったとも考えられるけど…。

『――梨子お姉ちゃーん!』

「え…っ?」


どこからか少女の声が聞こえてくると、境内の提灯達に薄い桃色・明るい緑色・深い青色の淡い光が灯って、辺りが見えるようになった。

その瞬間、背後に誰かが横切る気配がして、振り返ってみた。

「あれは…!」

昼にフラッシュバックで見た浴衣の少女…!子供の頃の私だわ…!!

「これは時神神社の記憶なんでしょうか…?」

「…敵の幻術とも考えられるわね」

『――見てー!桃花ちゃんが見つかったわ!』


幼い私の隣で顔を伏せているのは、梨子さんの妹の桃花さんだった。どうやら風船ヨーヨーが切れてしまったらしく、指にゴムだけはめたまま泣きじゃくっていた。

『まぁ、桃花…!』

「…!藤倉教官――っ!?」

「…しっ!こっちよ!」

「は、はい…!」


私は一郎君の浴衣の袂を引っ張って、一緒に茂みの中に隠れた。

『――急にいなくなるから心配したのよ?私から離れるなって、あれほどお母様に言われたじゃないの!』

『〜〜ぐすん…、ひっく…、ごめんなさぁい…』

『くすっ、もういいのよ。あなたが無事で本当によかったわ…!』


梨子姉さんは泣いている桃花さんの目線に合わせて屈んでやると、笑顔で抱きしめてやった。

ふふっ、あの頃と同じ…、私のよく知る優しい梨子姉さんだわ…!

『桃花ちゃんね、迷子になってる間に転んじゃったらしくて…』

『どれ、姉さんに見せてごらんなさい…!』


桃花さんの膝の傷は血がにじむ程度で大したことはなかったけど、履いていた下駄の鼻緒が切れてしまっていた。おそらく、桃花さんはこれがショックで余計に泣いてしまっているのね…。

『ほぉら、泣かないの!桃花はあやめちゃんよりお姉さんでしょ?いつまでも泣いてたら笑われちゃうわよ?』

『〜〜ひっく…、でも、せっかくお父様が買ってくれたのにぃ…』


梨子さんは桃花さんの頭を優しく撫でると、下駄の鼻緒を可愛いちょうちょ結びに結んでやった。

『わぁ…!』

『明日の儀式が終わったら、呉服屋さんに行って直してもらうから…。それまで我慢できるわよね?』

『うんっ!ありがとう、梨子姉さん!』

『梨子お姉ちゃん、明日の藤堂の儀式、頑張ってね!』

『ありがとう、あやめちゃん――』

「梨子さん…」


――そうだったわね…。

あの後、家へ帰る途中で鼻緒がまた切れて、立ち止まって直してたところに車に突っ込まれて梨子さんと桃花さんは…。

〜〜あの年の時神祭りは、まるで神様のイタズラのようにありえないことが立て続けに起こったんだったわね…。私より丈夫なかえでが熱を出して、いつもお姉さんにべったりの桃花さんが迷子になって…。そんな小さなトラブルが重なって、とどめとばかりにあの怖ろしい事故が…。

「…っ!?」

すると、お墓参りの時に感じたのと同じ、温かくて柔らかい風が吹いてきた。と思ったら、まるで悪いものでも払われたように一郎君が頭を抱えながら。ふらっとよろめいた。

「――あれ…?俺、どうして…?」

「どうしたの?」

「あの人、梨子さん…でしたよね?俺、彼女を見るのは今日が初めてのはずなんです。なのに、何で今まで教官と慕ってたのか思い出せなくて…」

「一郎君…!記憶が元に戻ったのね!?」

「えっ?それってどういう…〜〜…っ!?」

「一郎君…!?」


一郎君が頭を抱えてうずくまった刹那、さっきとは正反対の強い風が吹いてきて、子供の頃の幻想と揺れた提灯の灯りを消してしまった!

「〜〜うぅ…っ!頭…がぁ…っ!!」

「どうしたの、一郎君!?〜〜しっかりして…っ!!」

『――ふふふっ!私との思い出…、忘れたとは言わせないわよ、大神君?』


その時、私達を見下すように梨子さんの亡霊が笑いながら姿を現した!

「梨子さん…!?」

『忘れちゃったの、大神君?あなたと先生は放課後の教室であんなに愛し合ったじゃなぁい…♪』

「え…っ?」

「〜〜うぅ…っ!!そんな記憶…、俺は知らないっ!!」

『フフフッ、寂しいこと言わないでぇ?あなたは私の可愛い生徒。…ううん、それ以上なんだから♪』


一郎君を苦しめている記憶が私の頭の中にも流れ込んでくる…。

『――梨子さん…』

『愛してるわ、大神君…』


誰もいなくなった放課後の教室で愛し合う、海軍士官学校の候補生の一郎君と教官の梨子さん…。

『明日から会えなくなっちゃうのね…。寂しいわ…』

『卒業したら結婚しましょう。俺、教官に負けないくらい海軍で出世して、あなたを幸せにしてみせますから…!』

『大神君…♪』


卒業式の日に一郎君からプロポーズされて、幸せいっぱいの梨子さん…。

『お父さん、いってらっしゃ〜い!』『パパ〜、いってらっしゃ〜い!』

『あぁ。お土産買ってくるから、ママの言うこと聞いて良い子でいるんだぞ?』

『は〜い!』『は〜い!』

『ふふっ、いってらっしゃい、あなた』

『行ってくるよ、梨子。今日は君の誕生日だからな…♪』


なでしことひまわりにそっくりな双子の娘に見送られて、海軍の軍服を着て仕事に行く一郎君。そんな夫にキスして、幸せそうに見送る梨子さん…。

〜〜何なの、この記憶…!?違う!そこにいるのは私のはずなのに…っ!!

『――あなたはあやめちゃんではなく、私と恋に落ち、結婚した…。そうでしょう、大神君?』

「〜〜違う!!俺はあなたみたいな教官は知らないし、この記憶も全て偽物だ…っ!!」

「偽物?どうしてそう言い切れるのかしら?」

「〜〜もうやめて、梨子さん!!生き残った私が憎いなら…、私の幸せを妬んでるなら、私だけを傷つければいいでしょう!?彼と子供達は巻き込まないで頂戴…っ!!」

『私があなたを妬んでるですって?ホホホホ…!』

「何がおかしい!?」

『あなた達が今見たのはね、本来の歴史なら全て本当に起こるはずのものだったの。でも、気まぐれな神はあの事故の被害者をあやめちゃんではなく、私と桃花に変えてしまった…。その為に私達の運命は180度変わり、この世界は間違った歴史軸に沿って進むことになってしまったの…』

「な、何を言ってるの…!?」

『ふふっ、まだわからない?そこにいる大神君と本来結婚するはずだったのは私と桃花で、あの日死ぬはずだったのはあやめちゃんとかえでちゃんだったってこと。〜〜不慮の事故と不治の結核で亡くなった悲劇の姉妹として悼まれながら、藤枝家の血は絶えるはずだったのに…っ』

「〜〜あやめさんとかえでさんが子供の頃に死ぬはずだった…だと…?」

「〜〜嘘よっ!私が事故に遭う運命ならまだしも、どうしてかえでまで…!?あの時、かえでがかかってたのは結核じゃなくて、ただの夏風邪だったはずよ!?」

『それも全て、罪深き天使のせいで書き換えられた偽りの歴史…。〜〜第一天使長ともなれば、神をそそのかして歴史を変えさせるなんて、わけないんだから…!』

「第一天使長って…、まさかミカエルが…!?」

「お母様が無理矢理、歴史を作り変えさせたとでもいうの!?〜〜私とかえでを死なせない為に…!?」

『ふふふっ、そうよ!だからね、あやめちゃん、あなたにこれ以上生きていられると、世界の歴史にどんどん矛盾が生まれちゃうの。だから、神は自らの過ちを悔やみ、心を入れ替えて時の神・クロノスに歴史の矛盾を正してくるよう命じたのよ。――あなたも今日見たはずよ、自分を狙うクロノスの姿を…?』

「…っ!」


あの黒頭巾の男が、やっぱりクロノスだったんだわ…。〜〜まさか私とかえでを殺して、梨子さんと桃花さんを復活させようとしていたなんて…!

『ふふっ、まぁ人間のあなた達じゃ天上界のゴタゴタを聞かせられてもピンと来ないと思うけど、あやめちゃんは賢いからわかってくれるわよね?あなたとかえでちゃんが消えて世界が元の歴史軸に戻ったら、代わりに私と桃花がそこにいる彼と幸せになってあげるから、安心して死んで頂戴ね♪』

「〜〜ふざけるなっ!!あやめさんの代わりなんて誰にも務まりやしない…!!どうしてもあやめさんを殺したいというなら、俺が相手だ!!」

「一郎君…」

『フフフッ、そう…。事情を説明したら、おとなしく天国に逝ってくれるかと思ってたけど…、――無理な相談だったようねぇ…っ!!』


梨子さんの亡霊は全身からすさまじい威力の霊力を解放すると、その美貌を身の丈3mはあると見える怖ろしい化け猫へと変えた!

「〜〜あれは夢に出てきた化け猫…!?」

『ミャ〜オ♪』


〜〜くっ、梨子姉さんと戦いたくなんてないけど、仕方ないわ!

私は浴衣の下に巻いておいたベルトの鞘から神剣白羽鳥を抜いて剣先を梨子さんに向けたけど、その途端、私の霊力で輝いていた神剣は光を失い、石のように鈍い色に変わってしまった…!!

「〜〜神剣が…!?」

「あぁ…っ!?」


神剣白羽鳥は私の手から離れると、梨子さんの元へ瞬間移動し、しっぽで柄を握られると、刀身から神々しい光を放った!

『フフフ…!本当のご主人様は誰なのか、この子もわかってるみたいねぇ』

化け猫になった梨子さんの長くて太いしっぽが神剣と同化すると、尾の全体が剣のような鋭さと硬さを帯びただけでなく、全身の毛も霊力で逆立ってライオンのように勇猛さを増し、鋭くとがった牙を剥き出して私達を威嚇した!

『フギャアアアアアッ!!』

梨子さんは化け猫の巨体とは不釣り合いの俊敏な動きで飛びかかってくると、鋭い爪を振り下ろしてきた!

「きゃあっ!!」

〜〜動きが速い!しかも、攻撃がかすってないのに浴衣が破れて傷ができてる…!?

『ホホホ…!逃げられると思ってっ!?』

「きゃあああああっ!!」

「あやめさん…っ!!」


一郎君は私の体を抱くと、爪で頭を裂かれるギリギリのところで私を抱いたまま一緒に地面を転がり、回避した。

「〜〜一郎君、腕が…!」

「…っ、俺なら平気です!あやめさんは下がってて下さい…!!」


化け猫の強すぎる闇のオーラに触れ、腕を負傷してしまった一郎君だったけど、持ち前の根性で真刀滅却と光刀無形を二刀流に構え、梨子さんに斬りかかっていった!

「たああああああっ!!」

だけど、化け猫は動物の勘で一郎君の動きを先読みすると、剣先のようなしっぽを振り回した!!

「うわあああああ…!!」

「〜〜一郎君っ!!」

『あらあら、危うく旦那様を殺しちゃうところだったわ。フフフッ!良い子だから邪魔しないでね〜、大神君っ♪』


――ドスッ!!

「ぐはぁ…っ!!」

化け猫の巨大な前足に踏みつぶされ、一郎君は口から血を吐いて体を痙攣させた…!

「〜〜やめてぇぇぇっ!!」

私は一郎君の手から離れた真刀と光刀で必死に化け猫の前足を刺し続けたけど、体格差があるせいで大したダメージにはならないみたい…。

〜〜それに、神剣を奪われたうえに化け猫の闇のオーラを浴びているせいか、体が重くて息苦しくて、いつもの力を出せない…。

「ハァ…ハァ…ッ、もう…やめて、梨子さん…。あなたの代わりにあの世へ逝けというなら言う通りにするから…、〜〜一郎君にひどいことしないで…っ!」

「う…っ、駄…目だ…。逝くな…、あやめ…さ…ん…」

「〜〜ごめんなさい、一郎君…っ」

『フフフッ、始めから素直に従ってれば、痛い思いせずに済んだのに…♪』


――ダンッ!!

「きゃあああああ〜っ!!」

「〜〜あやめさんっ!!」


一郎君を押し潰そうとしていた前足で梨子さんに叩き飛ばされると、私の体は勢いで本殿を守っていた扉を突き破り、天雲神社と同じ神を奉っている神殿まで吹き飛ばされた。

「う…うぅ…」

『――これでわかったでしょう、あなたみたいな偽者じゃ神剣も藤堂の力も使いこなせないって?』


梨子さんは体内に入りきらないほどすさまじい霊力をシュウシュウと煙として全身から漏らし、猫耳としっぽを出した状態で人間の姿に戻ると、神剣白羽鳥を手で握りながら本殿の中に倒れて悶えている私にゆっくりと近づいてきた…。

「私が…偽…者…?」

『そうよ。あなた達姉妹が生き延びたせいで世界は辿る必要のない滅びの道を歩むことになってしまった…!』

「〜〜あう…っ!?」


梨子さんは私の首を絞めると、神剣の鋭い刃身を私の首にあてがった。

「〜〜そんな…。私とかえでが…生き延びた…せいで…?」

『そうよ!私と桃花が巫女を継がなかったせいで、この時代よりずっと未来の世界がめちゃめちゃになってしまうの!まさか神様も、たった4人の少女の運命を変えただけで世界が破滅へ向かうことになってしまうなんて想像もしてなかったでしょうけどねぇ…っ!!』

「〜〜教えて!このままでは未来の世界はどうなってしまうの…!?」

『あなたはこれからクロノスに消されるんだから、知る必要はないでしょ!?』


――ギリギリギリ…ッ!!

「いやああああ…っ!!」

『あはははっ!車にぶつかる痛みなんて、こんなものじゃないんだからっ!!あなたとかえでちゃんみたいに世界を滅ぼしちゃうような悪魔は、巫女の私が首を斬り落としてあげる…!それが破邪の力を持つ藤堂家の使命ですもの…っ!!』

「う…っうぅ…、〜〜梨子…お姉…ちゃ…ん……」

『さようなら、あやめちゃん。神の名の許に死んでもらうわ…!!』


――カキーン…ッ!!

梨子さんが神剣白羽鳥で私の首を刺し貫こうとしたその時、間一髪で一郎君は真刀滅却で神剣の刀身を受け止め、火花が散る中、梨子さんの鳩尾を蹴飛ばした!

「〜〜けほっけほっけほ…っ」

「大丈夫ですか、あやめさん!?」

「はぁはぁ…、一郎…く…ん…」

『ふふっ、これから奥さんになるって女に随分な仕打ちじゃなぁい?』

「俺の妻はお前じゃなくて、あやめさんだ!今すぐ俺達の前から消えろ…!!」

『くすくすっ、そう言ってられるのも今のうちよ?歴史を正されたら、あやめちゃんとのことなんてすぐ忘れることになるんだから…♪』

「歴史に本物も偽物もない!あやめさんと出会い、今日この時まで愛し合ってきた時間が俺の歴史だ…!!」

「一郎君…」

『能書きをたれるのもそこまでにして頂戴!天上界におわす神のご意思に人間ごときが逆らえるわけないでしょう…っ!?』


梨子さんが高笑いしながらさらに霊力を解放すると、本殿の床に夢で見たのと同じ血の池ができ…!

「きゃあっ!?」「うわ…っ!?」

一郎君と私はドボンと頭まで沈んでしまった!

『――フフフ…、こっちへいらっしゃい、大神君。あやめちゃんはそのまま地獄へ逝って、ケルベロスの餌になるんだから…!』

『〜〜く…っ、絶対にあやめさんを殺させるものか…っ!!』

『一郎…く…ん…っ』


一郎君は私の体を離さないように強く抱きしめながら、血管を漂うように血の水流に私と一緒に押し流されて、暗い水の底へと堕ちていく…!

『……あやめ…さ…ん…』

『一郎君…、あなたを巻き込んでしまってごめんなさい…』

『言ったでしょう…?俺達は…家族…だ…って……』

『一郎君…!?〜〜駄目ぇ…っ!!』


気を失って力が抜け、流されようとした一郎君の体を私は必死に抱き留めた!

流れが急で、手が痺れちゃう…っ!それに、私ももう息が…っ!

〜〜このままじゃ私達二人とも――っ!!

『――あやめちゃん…』

『え…?』


さっきまでとは違う、優しく穏やかな梨子さんの声が聞こえてきたその時、境内にぶら下がっていたたくさんの提灯がまた桃・緑・青の淡い色に灯り、私と一郎君は抱き合ったまま、ハッと同時に意識を取り戻した。

「ここはさっきいた…?」

「一郎君、大丈夫だった…!?」

「は、はい。けど…、俺達、いつの間に助かったんでしょうか…?」

『〜〜そんな…!?誰が私の幻術を――っ!?』


その時、闇のオーラを纏って私達を見下ろしていた梨子さんの亡霊が眩い光の攻撃弾に呑み込まれた…!!

『ギャアアアアア〜ッ!!』

「この力は…!」

『――偽者はあなたです!私達の世界から立ち去りなさい…!!』


凛とした…、いつも近くで聞いていた懐かしく、憧れていたこの声…!

「梨子…姉…さん…?」

猛毒の光の霊力に体を蝕まれて苦しんでいる亡霊の梨子さんと向かい合うように、もう一人の梨子さんの霊体が輝く光のオーラを纏いながら私と一郎君をかばうように目の前に立っていた…!


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