藤枝あやめ誕生日記念・特別短編小説2013
「君偲ぶ日に」その3
――翌朝。
雄々しい入道雲がわく夏空の下、私達・家族は旅行先の房総半島を目指し、南へ向かう列車に乗っていた。
「見て、海だわ!」
「きゃ〜っ♪海だ海だ海だ〜っ!!」
「コラ!座席の上でジャンプするな!!危ないし、迷惑だろう!?」
「えへへへ〜♪」「は〜い♪」
ふふふっ、なでしこもひまわりもお父さんから怒られてもニコニコしてるわ。二人とも初めて見る海にあんなにはしゃいで…♪
「海って綺麗なんだね〜!僕、絵本でしか見たことなかったなー」
「…誠一郎!海は逃げないんだから、早くご本読んじゃいなさい!!」
「〜〜はぁい…」
「…かえでさん、旅行の時ぐらい誠一郎の自由にしてやったらどうです?」
「私は時間を有効活用しろと教えてるんであって、着いてからも遊ばずに勉強しろとは言ってないでしょ?こうしてる間も同い歳のライバル達は頑張ってるんだから…!誠一郎も負けずに努力するのよ!?いいわねっ!?」
「…はぁい」
「〜〜かえでおばちゃん、何かこわ〜い…」
「〜〜ちょっとやりすぎな気もするけど…?」
「誠一郎、嫌なら無理にやらなくていいんだぞ――!?」
「…なぁに、一郎君?私の教育方針が間違ってるとでも言いたいわけっ!?」
「〜〜いぃっ!?いえ…、そういうわけじゃ…」
「せっかくの家族旅行なんだから、楽しくやりましょうよ?ね?かえでもいつまでもカリカリしてないで――!」
「姉さんは黙ってて!これはうちの問題なんだからっ!!」
「ぼ…、僕、頑張るよ!〜〜だから、喧嘩しないで…!?ねっ!?」
「誠一郎…」
「ああん、誠一郎ったら〜♪別に母さん達は喧嘩してるわけじゃないのよ?お父さんもあやめおばさんもあんなこと言ってるけど、誠一郎が将来、帝撃の立派な跡継ぎになってくれたら喜ぶに決まってるもの!――そうでしょ、一郎君?」
「〜〜は、はぁ…」
「なら僕、頑張るよ!父さんと母さんの期待に応える為に…!!」
「誠一郎、えっら〜い!」
「頑張ってね、誠一郎。私達も応援するわ!」
「うん!僕もいつか父さんみたいに強くて格好良い花組の隊長になって、帝国華撃団にハーレムを築いてやるんだっ!!」
「〜〜ハ…、ハーレムは別に目指さなくてもいいと思うが…」
「偉いわよ〜、誠一郎!さっすが母さんの息子ね〜♪さ、もうすぐ着いちゃうから今日の分のお勉強、終わらせちゃいましょ?」
「りょーかいっ!」
かえでったら気分は完全に教育ママって感じだけど、一郎君は複雑そうね…。また去年みたいな喧嘩にならなきゃいいけど…。
〜〜ハァ…、それにしても頭が痛い…。夢のことが気になって、あまり眠れなかったせいかしら…?
「あやめさん、大丈夫ですか?まだ具合が悪いんじゃ…?」
「大丈夫よ…。昨日と比べたら、だいぶ良くなったもの」
「着くまで休んでたらどうです?俺の肩に寄りかかってていいですから」
「そうさせてもらうわ。ありがとね、一郎君」
「は、はい…♪」
「ひまわり、お母さんを起こさないように静かに遊びましょうね?」
「りょ〜かいっ!」
ちょっと恥ずかしいけど、私は甘えるように一郎君の肩に寄りかかって、眠りの世界へ堕ちていった。
周りの乗客の声も、線路を走るけたたましい列車の音もだんだん消えていき、私の意識は無の世界へと吸い込まれていく…。
『――あやめちゃん…』
う…ん……。また…この声……?
『――会いに来てくれたのね…。嬉しいわ…』
深い暗闇へ堕ちていく私の目の前にぼんやり浮かぶ人影…。
〜〜やっぱり、あなたは――!
『り…っ――!?』
――ギリギリギリ…ッ!!
呼びかけた私の首を、人影から伸びてきた腕がいきなり締め上げてきた…!!
毛むくじゃらで、長い爪が生えた腕…!〜〜まさか、あの夢の化け猫…!?
『――あなただけ幸せになるなんて許せない…!許せない…っ!!』
『〜〜く…ぁ…っ、が…あはぁ…っ!?』
あの時の夢と同じ…!?〜〜このままじゃ殺される…!!でも、力が入らない…!!
〜〜助けて、一郎君――っ!!
「――あやめさん…、あやめさん…!」
「――ハ…ッ!?」
愛しい人の声が聞こえてきて目を覚ますと、一郎君が心配そうな顔で私の肩を揺すっていた。
「終点の館山に着きましたよ?」
「そ、そう…」
「うなされてましたけど、また悪夢でも…?」
「〜〜う、ううん…。それより荷物を下ろさないと…!」
「かえでさんと俺で下ろしましたから、後は降りるだけです。立てますか?」
「えぇ、ありがとう…」
手を貸して、私の体を支えながら立たせてくれた一郎君だったけど、私の首を見ると怪訝そうな顔で首を傾げた。
「その傷…?」
「え…?――っ!」
私の首に…、それもネックレスの下に隠れるようにして、不気味な手形のあざと猫の引っ掻き傷がついていた。
夢の中でつけられた傷と全く同じ…!〜〜一体どうして…!?
「あやめさん…?」
「〜〜な、何でもないのよ!多分、うなされてるうちに掻きむしっちゃったのね…」
「――お父さ〜ん、お母さ〜ん!」
「――早く早く〜!日が暮れちゃうよ〜!!」
「あぁ、今行くよー!」
「…行きましょ?私なら大丈夫だから…、ね?」
「あやめさん…」
一郎君はしばらく黙って私を見つめると、強く手を握ってくれた。
「俺もかえでさんもついてるんです。何かあったら相談して下さいね?」
「…ありがとう」
一郎君によると、私が眠っていた時間は、たった30分だったみたい。……だけど、夢のせいでとても長い時間に感じたわ…。
あたかも現実とリンクしているような悪夢…。〜〜まるで体が本能的に危険と感知してるみたい…!
やっぱり一郎君とかえでに相談してみた方がいいのかしら…?
「パパ〜、荷物持って〜!」
「リュックぐらい背負いなさい!」
「ずっと座ってたから、体が固くなっちゃって動けなぁい…」
「ひまわりも〜!ね〜パパ〜、持って〜♪」
「お願〜い、お父さ〜ん♪」
「〜〜う…。わ、わかったよ!…バスに乗るまでだぞ?」
「ありがとう、お父さん!」「わ〜いっ!」
「ふふっ、娘達にデレデレし過ぎよ、お父さん♪」
「〜〜大丈夫、父さん?僕も手伝うよ…」
…やっぱりできないわ!
一郎君の気持ちは嬉しいけど、下手に巻き込んだら愛する家族が危険な目に遭うかもしれない…。〜〜そうなったらと思うだけで、恐怖で体の震えが止まらなくなるもの…!
『――あなただけ幸せになるなんて許せない…っ!!』
……梨子さんは私を恨んでいる…?
あの事故で、私だけが生き延びたから…?〜〜だから、私の幸せを妬んで壊そうとしているの…!?
「ママ〜?」
「早く行きましょー!」
「…え?えぇ…!」
そう考えれば説明はつくけれど、あの優しかった梨子姉さんがそんなことするなんて思えない…。
〜〜でも、もし悪霊になって成仏できていなかったとしたら…、私は梨子さんと戦わなければいけなくなるのね…。
「――わ〜いっ!」「――無事に着いたね〜!」
私達は駅前からバスに乗り、夏休み中の観光客でにぎわう海水浴場から程近い民宿に到着した。
「こんにちはー!」
「こんにちは。まぁまぁ、元気な子達だねぇ」
「えへへ〜♪よく言われま〜っす!」
「6名で予約しておいた大神です」
「まぁまぁ、はるばる帝都からようこそ!小さな宿ですけれど、なんなりとお申しつけ下さいねー」
「ありがとうございます」「お世話になりますわ」
民宿のおばさんも気さくな方でよかったわ。ふふっ、旅先で田舎の人の優しさに触れるとホッとするわよね。
「う〜み!う〜みっ!」
「お父さん、早くうき輪膨らませて〜!」
「父さん父さん、ビーチボールも〜!」
「〜〜ぜぇぜぇ…。わ…、わかったから、ちょっと…休ませてくれ…。……ぜぇぜぇ…」
「一郎く〜ん、ついでにバナナボートもお願いね〜♪」
「〜〜いぃっ!?かえでさんも少しは手伝って下さいよぉ…」
「あははは…!」「あははは…!」「あははは…!」
……私達が泊まる部屋からは丁度、藤倉さん家が見える。
一郎君とかえで達が海水浴の準備に張り切る中、私は一人、開けた窓からぼんやりとその古びた家屋を眺めていた。
今年の初めに藤倉家当主の旦那様が亡くなって以来、藤倉家の血は絶えて空き家になってしまった。
手入れがされていない庭の草も伸び放題だ…。私とかえでが厄介になっていた頃は、毎日のように私達や梨子さん・桃花さん姉妹の笑い声が聞こえてきたのに…。〜〜寂しいな…。
『――あやめちゃん…』
「…っ!?」
〜〜また梨子さんの声…?そう思った瞬間、藤倉家の二階の窓からこちらを見つめる人影が見えた…!
〜〜夢で見たのと同じ人影だわ…。まさかあれは――!
――ポン…!
「〜〜きゃ…っ!?」
「あ…!す、すみません。何か悩んでいるように見えたので…」
「一郎君…。ホ…ッ、よかった…」
「…?」
一郎君に肩を叩かれて目を離した隙に、もうあの人影は消えていた…。〜〜やっぱり、あれは梨子さんの幽霊なのかしら…?
「そういえば、あの家…、藤倉教官のご実家ですよね?」
「え…?」
「かえでさんに昨日の同窓会の話をしたら、教えてくれたんです。藤倉教官があやめさんとかえでさんのご親戚だったなんて全然知りませんでしたよ。どうして教えてくれなかったんですか?」
「〜〜ちょ…、ちょっと待って、一郎君!梨子さんとあなたの恩師が同一人物だって、どうしてかえでが知ってるの!?」
「どうしてと言われても…、『去年、一緒にお葬式に出席したじゃない』ってかえでさんに言われて記憶を辿っていくうちに、『そういえばそうだったなぁ』と俺もだんだん思い出してきて…。一年前のことなのに、どうして記憶が曖昧なのか不思議ですが…」
「ね、ねぇ…、一郎君?そのお葬式…、もしかして私も出席してた…?」
「もちろん。夏公演の準備が忙しくて最後まではいられませんでしたけど、久し振りに親族が集まるから大きくなった子供達を見せてやりたいって、なでしこ達を連れて行ったのはあやめさんじゃないですか」
どういうこと…!?〜〜私にはそんな記憶はないはずなのに…!!
まさか、何らかの力が働いて、一郎君とかえでの記憶が書き換えられたんじゃ…!?
「〜〜な…っ、なでしこ…!!ひまわり…!?」
「なぁにー?」「どうしたの、お母さん?」
「去年、あそこのおうちに行ったの覚えてる…!?」
「…?覚えてるよー?」
「梨子さんっていう、親戚のおばさんのお葬式に出たのよね?」
「うん。確かお船の事故で死んじゃったって…」
〜〜そんな…!?子供達の記憶まで…!?
でも、記憶を操作するなんて、一体どうやって…!?
「あやめさん…?」
「〜〜かえで…っ!!かえではどこ…!?」
「か…、かえでさんなら着替え終わって外に――あ…!」
一郎君の説明を最後まで聞く時間も惜しく、私の足はもう民宿の外へ向かって走り出していた…!!
「〜〜ママ〜ッ!?」「〜〜お母さーん!?どこ行くのー!?」
「…行っちゃった。どうしたのかなぁ、あやめおばちゃん…?」
「〜〜あやめさん…」
ハァハァハァ…!〜〜かえでは…、かえではどこ…!?
「かえでーっ!?〜〜かえでぇーっ!?」
「〜〜ちょ…!?どうしたのよ、姉さん?そんな血相を変えて…」
――いたわ…!!かえでは、ひざ上まで丈があるダボダボのTシャツを水着の上に着て、藤倉家の家屋をサングラス越しに見上げていた。
「梨子さんのこと…っ!どうして一郎君の教官だって知ってたの!?」
「…?知ってるも何も、あやめ姉さんが教えてくれたんじゃない。一郎君を帝撃へスカウトする時、海軍にいる梨子さんにお願いして接触したんでしょ?」
「え…?」
「姉さん、大丈夫?まだ一年だし、梨子さんの死から立ち直れないのもわかるけど…」
「〜〜ど…して…?」
「え?」
「〜〜だって梨子さんは私達が子供の頃に亡くなったのよ!?昨日、私がそう言ったら同意してくれたじゃない…!!」
「子供の頃に亡くなったのは桃花さんでしょ?夏祭りの帰りに居眠り運転の車にひかれて――」
「――っ!?」
「…!?ちょ、ちょっと姉さん!?大丈夫…!?」
梨子さんと桃花さんの話をかえでとし始めた途端、急に頭に激痛が走り、私は道の真ん中でうずくまってしまった…!
「はぁはぁはぁはぁ……っ」
まるで怪しい薬でも打たれたかのように、異様な緊張感と高揚感を感じながら私は頭の中であの事故をフラッシュバックしていた。
――紫と緑の水玉のヨーヨーを2つとも指にはめて、嬉しそうにポンポン叩いている浴衣の少女…。
あれは私…?――そうだ…!夏祭りから梨子さんと桃花さんと一緒に帰って夜道を歩いている、女学校に入りたての頃の幼い私だ…!
『――梨子姉さん、ヨーヨーありがとう!かえでも喜ぶわ』
『ふふふっ、どういたしまして。かえでちゃんもお熱が出なければ一緒に行けたのに…、残念だったね?』
『綿菓子もフランクフルトも買ったんだし、今年はこれで我慢してもらいましょ?』
『えぇ!来年は四人で来られるといいわね――!』
『――!!〜〜あやめちゃん、危ない…っ!!』
『え…?』
キキキー…ッ!!――ドン…ッ!!
車のボンネットにぶつかり、血だらけになって宙を舞う浴衣の少女…。
〜〜あれは…私――っ!?
「――さん…!姉さん、大丈夫…っ!?」
「――ハ…ッ!?……か、かえで…?」
「ハァ…、よかった。貧血がひどいなら、宿で休んでれば?子供達は私と一郎君でみてるから…」
……今の映像は何…?
〜〜違う…!あの事故で亡くなったのは、梨子さんと桃花さんだったはずなのに、どうして私が…!?
「……あやめ姉さん?ねぇ、本当に大丈夫なの…?」
かえでの声がエコーがかって聞こえてくる…。〜〜頭がまた割れるように痛い…っ!!
〜〜何なの…!?まるで記憶が強制的に上書きされて、別のものになっていくみたい…!!
私は本当にこの世に存在しているの…?何の為に生かされているの…?〜〜そもそも、この幸せは現実なの…!?
「――あやめさーん!かえでさーん!」
そこへ、一郎君と子供達も外に降りてくると、真っ青でうずくまっている私を見つけて、心配して駆け寄ってきた。
「〜〜ママぁ!大丈夫ぅ!?」
「〜〜びょ…、病院に行った方がいいんじゃないかな…?」
「だ、大丈夫よ。心配かけてごめんね…?」
「〜〜お母さん、昨日から変よ?何かあったの…?」
「よかったら話して下さい。何か力になれるかもしれませんし…」
「……っ」
〜〜いくら正直に話しても、記憶を書き換えられた今の一郎君とかえでなら理解に苦しむだけだもの…。
何者かが何らかの力を使って、私達の記憶をもてあそんでいるのは確かだわ!…ううん、それだけじゃない。もしかしたら、その書き換えられた記憶を時空と次元を捻じ曲げて、真実にしようとしているのかも…!?
でも、そんな大それたことを誰がどうやって…!?
霊力が高かった梨子姉さんなら、もしかしたらできるかもしれないけど…、本当に彼女の仕業なの…!?〜〜それとも、現実と妄想が区別できなくなってしまうほど、私の頭がおかしくなってしまっただけなの…?
怖い…!〜〜何だかこのまま私の存在が消されてしまいそうで…!!
「……ハァ…」
「…かえでさん?――!」
私の心情を察したのか、かえでは小さくため息をつくと、持っていた子供達のうき輪を一郎君に託した。
「まだ姉さん着替えてないみたいだから、先行っててくれる?」
「で、ですが――!」
「これは命令よ、お・お・が・み君?」
「……了解です」
一郎君が心配そうに私の方を振り返りながら子供達を連れていくのを見送ると、かえではサングラスを頭の上に乗せてニッと私に笑いかけた。
「…入りたいんでしょ、この家に?」
「え…?ちょ、ちょっと、かえで!?ここは今売りに出されてて入れな――!」
私の制止も聞かずに、かえではどんどん藤倉家の敷地に入っていき、ずっと昔に牛乳箱の裏に隠しておいた合鍵を得意気に私の前にぶら下げた。
「実は私も何だか気になって、さっき合鍵がまだあるか調べておいたの」
「でも、勝手に入って大丈夫かしら?不法侵入で大ごとにでもなったら…」
「親戚なんだし、遺品を受け取りに来たって言えば大丈夫よ。それにここの家には誰も近寄りたがらないから通報される心配もないわ。知ってる?立地条件は良いし、大きな屋敷の割に値段も手頃なのに何故買い手がつかないか…」
「不幸が続いたせいで、呪われた土地だって地元の方から避けられてるんでしょ?」
「そう。桃花さんの死に始まり、梨子さんの事故死・奥様の病死が去年立て続けに起こって、一人残った当主の針之進様も今年初めにミイラ化した状態で発見されたとか…」
「ミイラ…?」
「藤倉家の墓石の前で座禅したまま亡くなってたんですって。〜〜確かに呪いと疑いたくなる気持ちもわかるわよね…」
確か私の記憶では旦那様は心臓発作で亡くなったって聞いてたけど…、〜〜今まで当たり前だと思っていた記憶があやふやになってきて、どこまでが真実でどこからが違うのか、わからなくなってきたわ…。
でも、当主の針之進様が亡くなった事実と時期は変わってないみたいね…。
「せっかくだから、お線香でもあげていきましょ?」
「そうね…」
藤倉家の分家の者が片づけたのか、家の中はある程度整理されてたけど、お仏壇の遺影と仏具はまだ残っていた。
おそらく半年は掃除されることなく放置されていたようで、少しほこりっぽいけど…、――懐かしい家の匂いと木の温もりを感じてホッとする…。
「懐かしいわねぇ。もうちょっと近かったら毎日来てやれるんだけど…」
ゆらゆらと蝋燭の炎がゆらめき、お線香の匂いが部屋の中に広がっていく中、仏壇に飾られている写真の中の梨子さんと桃花さんはいい表情で笑っている…。
――梨子さん、桃花さん、なかなか来れなくてごめんなさい。私とかえでが来たこと、天国で喜んでくれているかしら…?この後、お墓にも伺うから、どうか安らかに眠って下さいね…。
「――見て、姉さん。アルバムがあるわ」
「まぁ…!」
これは私とかえでが藤倉家に引き取られて、初めておうちの前で藤倉家の皆さんと撮った時。
これは海で梨子さんと桃花さんが私とかえでに泳ぎを教えてくれた時。
これは私とかえでが合気道と護身術の大会でそれぞれ優勝して、女学校で表彰された時。
そして、これは私が陸軍士官学校に入るのが決まって、届いたばかりの軍服にワクワクしながら初めて袖を通した時…。
お母様を亡くしたばかりで笑顔が少なかった私もかえでも、写真を見ていけばわかるように、この家に来てから少しずつ笑顔を取り戻していった。
それもこれも梨子さんと桃花さん、そして、私とかえでを本当の娘のように可愛がってくれた当主の針之進様と奥様のお陰だもの…。
「こういう遺品、引き取り手がいないなら持って帰ってあげたいわね…」
「そうね。お金に余裕があったら、家ごと買い取ってあげたいけど…」
――ピーピーピーヒョロロ…♪
「…!この笛の音…!?」
「そういえば時神(ときがみ)神社の夏祭り、今日からなんですってね。後で一郎君と子供達も連れて行ってみない?」
「そ、そうね…」
〜〜どこかで聞いたことがあると思った、懐かしい笛の音…。やっぱり夢の中で聞こえてきたのと同じみたい…。
もしかしたら梨子さん…、私にこの夏祭りに行くよう伝えたかったのかしら…?
「――つまんない、つまんない、つまんな〜いっ!!」
「仕方ないだろう?今日は我慢しなさい!」
――あら…?ひまわりと一郎君の声だわ!
渡り廊下に出て外を見てみると、一郎君がうき輪をつけたなでしこ達と残念そうに歩いてくるのが見えた。
「どうしたの?」
「海水浴場に行ったんじゃなかったの?」
「それが突然、高波警報が発令されたらしくて…。海に入るなと地元の方に怒られてしまいました…」
「〜〜ぶぅ〜…。海入りたかったのにな〜…」
「危ないわよ!子供の私達じゃ、すぐ波にさらわれちゃうわ」
「そうだよ。明日晴れたら、また行こう?」
「〜〜むぅ〜…。つまんないの〜」
――ゴロゴロゴロ…。
「…夕立ちかしら?」
「急に天気が悪くなってきたわね…。着いた時はあんなに晴れてたのに…」
「海水浴の代わりと言ってはなんですが…、スイカを買ってきましたから冷やして食べましょう」
「そうね。降り出さないうちに宿に戻りましょ!」
「お〜っ!」
「スッイカ〜、スッイカ〜♪パパ〜、早く冷やそ〜!」
「〜〜ひまわりったら機嫌直るの早すぎ…」
――見上げていると不安になってくる曇り空だわ…。このまま雨が降り出したら、夏祭りも中止になるのかしら…?
〜〜もう旅行中、何も起こらないといいんだけど…。
「君偲ぶ日に」その4へ
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